2014年 01月 17日
私は生きる |
小さい頃、ゴジラ映画を見るたびに、「自分はゴジラに追われて逃げ惑い、最後には踏み潰されて死ぬのだ」と、何故だか思っていました。
生き残ったが故の苦しみなんて考えたことも無かった…
19年前のその時、新大阪の傍の柴島ってところに住んでいた私は、アレンジの締め切りに追われて徹夜、コーヒーを飲もうとやかんを火にかけたところでした。
すぐに火が消せるところに立ったままで良かった。
しゃがみこんでしまう前、窓からは、街灯が次々と消えてゆくのが見えました。
寝床から飛び起きたは良いが、開いた襖と柱に手をかけて立っているのがやっとだった元彼。
ちょうど頭があったところに、本棚の上から、重い、本式のダーツボードが飛び落ちました。
最初の揺れが収まった後、二人してラジカセを持ってバスルームへ逃げ込み、ラジオを聞きながら電気が付くのを待ちました。
試してみたらバスルームの灯りがつくようになっていたので外に出て、テレビを付けました。
そこには、炎の上がる長田の街が映っていました。
ゴジラが来た!目には見えないけど…
なのに私は生きている!何でだ?!
訳もなく後ろめたさでいっぱいになりました。
そして初めて、残された人たちのことに気が付きました。
最も大切に思う人を、命と換えてでも助けたい
そう思っていたはずなのに助けることができなかった自分
その思いをこれからの一生、胸に抱いたまま生きてゆくのです
そうやって生きてゆくとはどれほどのことか…
そればかりを考えてしまうことをやめられませんでした。
でもね、物が壊れるくらいで済んだ人間が生きる、ってことは凄いことでした。
ご飯を作ったり食べたり、歯を磨いたりお洗濯をしたり。
仕事は勿論しばらくありませんでしたが、ボランティアライヴに声をかけていただいて出演したり。
自分の思うところとは関係なく、なし崩しに「日常」というようなものが再開されました。
そうこうしているうちに、やがて後ろめたさは意識の表層から退き、見えなくなってしまいました。
何かの災害や、事故のニュースを見たときに、ひょっと表に浮かび上がっては来ましたが。
通奏低音ではなくなったのです。
しかし、3・11。
再び後ろめたさが甦りました。
そして同じように、また、意識のどこかへ押し込めて…
NANIWA EXP25周年アルバムに英詞を依頼され、ひたすら脳のチャンネルを開けて、待って待ってしていた時に、見ないようにしていたが存在し続けていた思いが、完成形として超高速で提示されました。
やっと自分の中で落とし前が付いたのだと思いました。
知らぬうちに甕の縁まで一杯になってしまった言葉にできない思いが、溢れだすことを止めることは私にはできません。
この曲は大切な曲として歌い続けていきます。
*被災なさった方たちにとって、許せない発言も含んでいるかもしれません。
心からお詫びします。
自分にとっての震災を正直に述べました。ご理解いただければ幸いです。
生き残ったが故の苦しみなんて考えたことも無かった…
19年前のその時、新大阪の傍の柴島ってところに住んでいた私は、アレンジの締め切りに追われて徹夜、コーヒーを飲もうとやかんを火にかけたところでした。
すぐに火が消せるところに立ったままで良かった。
しゃがみこんでしまう前、窓からは、街灯が次々と消えてゆくのが見えました。
寝床から飛び起きたは良いが、開いた襖と柱に手をかけて立っているのがやっとだった元彼。
ちょうど頭があったところに、本棚の上から、重い、本式のダーツボードが飛び落ちました。
最初の揺れが収まった後、二人してラジカセを持ってバスルームへ逃げ込み、ラジオを聞きながら電気が付くのを待ちました。
試してみたらバスルームの灯りがつくようになっていたので外に出て、テレビを付けました。
そこには、炎の上がる長田の街が映っていました。
ゴジラが来た!目には見えないけど…
なのに私は生きている!何でだ?!
訳もなく後ろめたさでいっぱいになりました。
そして初めて、残された人たちのことに気が付きました。
最も大切に思う人を、命と換えてでも助けたい
そう思っていたはずなのに助けることができなかった自分
その思いをこれからの一生、胸に抱いたまま生きてゆくのです
そうやって生きてゆくとはどれほどのことか…
そればかりを考えてしまうことをやめられませんでした。
でもね、物が壊れるくらいで済んだ人間が生きる、ってことは凄いことでした。
ご飯を作ったり食べたり、歯を磨いたりお洗濯をしたり。
仕事は勿論しばらくありませんでしたが、ボランティアライヴに声をかけていただいて出演したり。
自分の思うところとは関係なく、なし崩しに「日常」というようなものが再開されました。
そうこうしているうちに、やがて後ろめたさは意識の表層から退き、見えなくなってしまいました。
何かの災害や、事故のニュースを見たときに、ひょっと表に浮かび上がっては来ましたが。
通奏低音ではなくなったのです。
しかし、3・11。
再び後ろめたさが甦りました。
そして同じように、また、意識のどこかへ押し込めて…
NANIWA EXP25周年アルバムに英詞を依頼され、ひたすら脳のチャンネルを開けて、待って待ってしていた時に、見ないようにしていたが存在し続けていた思いが、完成形として超高速で提示されました。
やっと自分の中で落とし前が付いたのだと思いました。
知らぬうちに甕の縁まで一杯になってしまった言葉にできない思いが、溢れだすことを止めることは私にはできません。
この曲は大切な曲として歌い続けていきます。
*被災なさった方たちにとって、許せない発言も含んでいるかもしれません。
心からお詫びします。
自分にとっての震災を正直に述べました。ご理解いただければ幸いです。
by TaeUdagawa
| 2014-01-17 12:18
| あれやこれや